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体の使い方


行住坐臥(ぎょうじゅうざが)という言葉がありますが、人の行動を言い表すのに、これ程適した言葉はないかもしれません。最近では、あまり使われなくなった言葉ではありますが、日常の立ち居振る舞い、日常の全てを言い表す言葉です。

仏教では四威儀(しいぎ)といいます。

行=歩く・走る
住=立つ・留まる
坐=坐る・腰掛ける
臥=臥せる・横になる・寝る

と、なっており、人が一日に行う仕草は行・住・坐・臥に集約され、威儀を正すとも、居住まいを正すともいわれます。

私たちが毎日繰り返している、人の基本的な動作はこの四つに尽きるわけですが、このウェブ・サイトの「姿勢的なこと」で書いているように、体にとって、正しい姿勢で日々生活している人は非常に少ないのです。


体には慣れという習慣があります(適応力といった方がわかりやすいかもしれませんが)。仮に体にとってあまり良くいないことをしていても、繰り返しているうちに体はそれを「悪いこと」と感じなくなってくることがあるのです。

そうした「慣れ」といった感覚の鈍化が、体に対する感覚の低下や身体機能の不調につながります。慢性的な食べ過ぎであったり、継続的なアルコールの摂取、喫煙なども同じです。体に合わない衣類や寝具に椅子、足に合わない靴などへの慣れ、などなど、人が生活をしていく上で、多くの我慢を強いられ、いずれ慣れが生じてくるわけです。

あらゆる状況で慣れが続くと、人の身体的感覚は鈍ってゆくことになります。自覚のないまま疲労が蓄積し、生活にも仕事にも集中できなくなったり、気力も萎え、コリや痛みとして不調を感じはじめます。

体の変化に敏感であれば、早い段階で違和感や不調を感じとり、軽い症状の内に解決することが可能なのですが、様々な感覚に慣れが生じ、体に対する注意が散漫になっていると、不調が限界に達した時の「痛み」や「しびれ」といった感覚にしか気が付かなくなってしまいます。

そのような状態になってくると、表に現れてきた腰痛や膝痛・頭痛といった症状は、様々な要因の結果にすぎません。それらを解消しても根本的な要因はなくなったとはいえないのです。そのため、再発を繰り返すことになったり、様々な不調を抱え込むことになってしまいます。

疲れたら休み、寒ければ着込み、暑ければ脱ぎ、お腹がすけば適量を食べ、のどが渇けば飲む、といった生活を続けられれば良いのですが、社会生活を営んでいる以上、すべてを自分中心に行うことは現実的でありません。それどころか、トイレも我慢し、エアコンの寒さに震え、疲れがたまっても休むことなどままならない、というのが現実です。

だとすれば、自分の体は自分で守らなくてはならない以上、できることだけは、しっかりと行うようにしていくことが重要でしょう。



ここ数十年の間に、私たちの生活は一変しました。

食べ物が変わり、着る物が変わり、履くものが変わり、住む家が変わり、乗り物が変わり、生活環境が変わり、職場環境が変わりました。

私たち日本人は上手く順応し、快適に生活していますが、体は、快適に順応しきれていないようです。

生活習慣は劇的に変わっても、私たちの体は、そう簡単には変化しません。長い時間が必要なのです。


私たちの足は、いまだに、裸足だった時期やわらじ時代と変わりません。日本人が靴を履き始めたのは、江戸時代が終わってからです。


私たちの内臓は、化学物質には慣れていません。

私たちの脳は、現代のストレスには対応し切れていないのです。



それら、生活環境の変化に対応しようと、体は無理な力を使っています。それが、体を疲弊させる原因であり、体に余計な力を使わせる原因なのです。


日々の生活の中で、ちょっとした違和感や、ちょっとした無理が、体に蓄積していき ます。それらを解消することなく暮らしていると、いつかは、体の不調となって現れ てくるのです。

体に表れる多くの不調が、そういった蓄積の結果だと言うことはわかっています。


人は、多くのものを手に入れましたが、それと引き換えに、体の不調という代価を払わされているのです。

ですが、その代価を少なくすることは可能です。


現在の体の使い方を客観的に見つめ、変えられるところがあれば変えることです。まずは、そこからはじめましょう。





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